イギリス留学に乗り出す

1回1ドル50セントの地下鉄とバスが、ニューヨーカーのもっとも身近な交通手段であるが、地下鉄は速いけれども、階段は多いし、駅もゴミゴミしていて空気が悪く、今ではすっかり安全になったとはいっても、身体の弱い人やお年寄りなどにはちょっとつらいかもしれない。 その点バスは、200メートル以内に必ずバス停があり、窓が大きく明るくて雰囲気がいい。

時間はかかるけれども、それを承知で乗っているわけだから、乗客もセカセカしていない。 だから、身体の不自由な人でもあまり周囲を気にしないで済むし、人々もイラついた視線を送るようなことはないわけである。
車椅子用の設備はすべてのバスに完備されている。 車椅子の人が乗るときには、運転手はいったん席を離れ、あるボタンを押すと、まず、バス全体が少し右へ傾く。
そして乗り口のステップが作動してリフトのように車椅子を運びあげ、車椅子を指定の位置に固定するのを運転手が手伝う。 降りるときにも同様に、運転手が手伝ってステップが作動し、バスが傾いて運び出すわけである。
バスといえば、ある日、日本人の友だちとこんな話をした。 「ニューヨークにも一応、『シルバーシート』みたいなのはあるけど、みんな無視して普通にすわっちゃってるね」「うん。お年寄りだから譲ろう、とかっていうのはあんまりないみたいだね」すると友人が、「でもね、この前、バスにおばあさんが乗ってきて、私、やっぱり譲らなきゃ、って思って立ったの。そしたらすごく喜ばれて、ありがとう、って何度も言われて…で、『あなた、とってもきれいね』って言われたのよ」「へえ…」(あまり気の利いたリアクションではなかったと思う)これなら、車椅子の人でも、公共交通機関を利用して1人で移動できる。
一度、私が市役所の方面に出かけたとき、片道で、車椅子の人が計3人乗ってきた。 確かにそのたび時間はかかったが、「バスとはそういうもの」と思えばよいのである。
それより、障害者でも付き添いなしで移動できる自由があるということが大切なのだと思った。 日本でも最近少しずつ、車椅子の使える車種のバスが出てきたようだが、まだバス停や便が限定されていたり、盲導犬を連れている場合は事前通告が必要だったりと、「移動の自由」の差は歴然としている。
何より、そうした手間や時間を許容する、人の心の問題があると思う。 しかし彼女は本当に嬉しそうに、少し顔を赤らめていた。
そうか、「きれいね」とまで言ってもらえるのか!これは私も一度やってみたいな、と思った。 で、ある日、近所のスーパーに行ったら、おばあさんが上の方の棚の缶詰を取ろうとしていた。

小柄で、しかも少し身体が不自由らしく、思うように手が届かない様子。 近くには私しかいなかったので、「これですか?」と言いながら1つ取ってあげた。
さて、ALPで行う、アメリカ社会を理解するための授業の話の続きであるが、やはり、多民族国家アメリカ。 人種差別への対策や、女性や同性愛者なども含めたさまざまな「マイノリティ」の権利の問題について、少しは意識を持たねば生きていけない。
特に印象に残った二つの切り口を、ここで紹介したい。 1つは、アメリカの大学で、「マイノリティ」をいかに教えるか、という点である。
教材には、女性弁護士が1992年に寄稿した『W』の記事が使われている。 これは、各大学が新入生へのオリエンテーションで用いる教育プログラムとその問題点を伝えている。
C大学の例も紹介されていて、それによれば、「教育」はまず、自分はいつでも「差別をする側」になり得ると自覚させるところから始まる。 差別を助長してきた人種や性への固定観念(ステレオタイプ)をまず洗い出し、冬宇目の心の中に差別意識が潜んでいることを認めさせ、そこから新しい考えを探っていこう、というのである。
方法としては、まず、クラスメートのうちゲイ、黒人、アジア系アメリカ人という3種類の異なる「マイノリティ」が書いた作文を読み、そういう立場に置かれていることが、彼らの人生にどういう影響を与えてきたかを学習する。 目的は、それぞれの「違い」と、異質な人々が共存していることが大学のコミュニティにおいてもつ意味を教えることだという。
C大学がニューヨークという「人種のモザイク」地域にあり、アジアなどからの留学生が非常に多いという点が、このプログラムの「目的」を説得力のあるものにしていると私は感じる。 他の大学の例でもすべてに共通しているのは、人種、性など、個々人の「劣冠様性」が、自分たちの社会に積極的な意味をもっているのだ、ということを叩き込んでいる点である。
ロール・プレイングを用いたり、ディスカッションを行ったりして、違う人々の立場を追体験し、「相手の気持ちになってみること」が、その第一歩なのである。 しかし、こうした教育のむずかしきは、強調されたおのおのの「違い」や被害者意識を、どうやって統一的な、調和のとれた文化へと導くかという、矛盾に満ちたテーマに取り組まねばならないところだ、と筆者は述べている。
対立ではなく、協調を模索すべきではないか、というのである。 80年代から拡大してきた貧富の差や犯罪の増加という現実が、右の方からは「行き過ぎたリベラリズム」への反省として、そしてリベラルの側からも、協調という概念が重要視されるようになってきた。
この教材の筆者は、新入生へのこうしたオリエンテーションの在り方を皮肉っぽく見ている。 ポリティカル・コレクトネスやマルチカルチャリズム、つまり、差別意識を排除しようとする政治的配慮や文化の多様性という概念は、実際には、大学の官僚機構に乗っ取られ、硬直してしまっているというのである。

でも私は、アメリカの学生は一応こういう学習を経て社会に出ている、ということに注目した。 「差別」が自分のまわりに存在するなど考えもしないで社会に出てしまう日本の大学生とは、マイノリティに関する感度が全然違うと思うからである。
たとえば、社会の中で男女はどういう関係になっているか、あるいは白人、黒人、韓国人、中国人などについて、自分がどのような潜在的な固定観念をもって生きてきたかを正面から見すえ討論する機会をほとんど持たないまま、日本人は社会に出ているのである。 日本の場合には、子どもは成長するに従って、環境はむしろ「同質化」していく気がする。
公立の小中学校では親の職業、収入、家庭の状況や価値観もある程度多様であっても、高校、そして大学と進むにつれ、「偏差値」でより薄く輪切りにされた集団の中に投げ込まれるわけだから、自分と違う環境や質の違う能力を持った人々と接する機会は少なくなる。 異質な者への感性を育てるのはますますむずかしくなる。
そもそも日本という島国では、異質な者どうしの葛藤を経て自らのアイデンティティを確立していくというよりは、同質な集団の中でいかにうまく多数に調和し、沈黙の中からも相手の意思を推し量って生きるか、というのが「知恵」とされていたのかもしれない。 アメリカのように、人種も価値観も違う者どうしが、まず自らの立場を認めさせようと主張し合い戦っている社会というのは、日本に馴染んだ人間にとっては非常に疲れるもので、そのようなせめぎ合いに費やすエネルギーを「ムダ」だと感じる人もいることだろう。

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